顎十郎捕物帳 01 捨公方 - 久生 十蘭 ( ひさお じゅうらん )
顎十郎捕物帳
捨公方
不知森(しらずのもり)
もう秋も深い十月の中旬(なかば)。
年代記ものの黒羽二重(くろはぶたえ)の素袷(すあわせ)に剥げちょろ鞘の両刀を鐺(こじり)さがりに落しこみ、冷飯(ひやめし)草履で街道の土を舞いあげながら、まるで風呂屋へでも行くような暢気な恰好で通りかかった浪人体。船橋街道、八幡の不知森のほど近く。
生得(しょうとく)、いっこう纒まりのつかぬ風来坊。二十八にもなるというのに、なんら、なすこともなく方々の中間部屋でとぐろを巻いて陸尺(ろくしゃく)、馬丁(べっとう)などという輩(てあい)とばかり交際(つきあ)っているので、叔父の庄兵衛がもてあまし、甲府勤番の株を買ってやったが、なにしろ、甲府というところは山ばかり。勤番衆といえば名だけはいかめしいが、徳川もそろそろ末世で、いずれも江戸を喰いつめた旗本の次男三男。端唄や河東節(かとうぶし)は玄人跣足(くろうとはだし)だが、刀の裏表も知らぬようなやくざ侍ばかり。
やくざのほうでは負(ひけ)は取らないが、その連中、気障(きざ)で薄っぺらで鼻持ちがならない。すっかり嫌気がさして甲府を飛びだし、笹子峠を越えて江戸へ帰ろうとする途中、不意に気が変って上総のほうへひン曲り、半年ばかりの間、木更津や富岡の顔役の家でごろごろしていたが、急に江戸が恋しくなり、富岡を発ったのがつい一昨日(おととい)。今度はどうやら無事に江戸まで辿りつけそう。
諸懐手(もろふところで)。袂を風にゆすらせながら、不知森のそばをノソノソと通りかかると、薄暗い森の中から、
「……お武家、お武家……」
たいして深い森ではないが、むかしから、この中へ入ると祟りがあると言いつたえて、村人はもちろん、旅の者も避けるようにして通る。
絶えて人が踏みこまぬものだから、森の中には落葉が堆(うず)高く積み、日暮れ前から梟(ふくろう)がホウホウと鳴く。
仙波阿古十郎(せんばあこじゅうろう)、自分では、もう侍などとはすっぱり縁を切ったつもり。いわんや、古袷に冷飯草履、どうしたってお武家などという柄じゃない。そのまま行きすぎようとすると、
「……そこへおいでのお武家、しばらく、おとどまり下さい、チトお願いが……」
こうなれば、どうでも自分のことだと思うほかはない。呼ばれたところで踏みとどまって、無精ッたらしく、
「あん?」
と、首だけをそっちへ振りむける。……いや、どうも、振るった顔で。
どういう始末で、こんな妙な顔が出来あがったものか。
諸葛孔明の顔は一尺二寸あったというが、これは、ゆめゆめそれに劣るまい。
眼も鼻も口もみな額際(ひたいぎわ)へはねあがって、そこでいっしょくたにごたごたとかたまり、厖大な顎が夕顔棚の夕顔のように、ぶらんとぶらさがっている。唇の下からほぼ四寸がらみはあろう、顔の面積の半分以上が悠々と顎の分になっている。末すぼまりにでもなっているどころか、下へゆくほどいよいよぽってりとしているというのだから、手がつけられない。
この長大な顎で、風を切って横行濶歩するのだから、衆人の眼をそば立たせずには置かない。甲府勤番中は、陰では誰ひとり、阿古十郎などと呼ぶものはなく、『顎』とか『顎十』とか呼んでいた。
もっとも、面とむかってそれを口にする勇気のあるものは一人もいない。同役の一人が阿古十郎の前で、なにげなく自分の顎を掻いたばかりに、抜打ちに斬りかけられ、危(あやう)く命をおとすところだった。
またもう一人は、顎に膏薬を貼ったまま阿古十郎の前へ出たので、襟首をとって曳きずり廻されたうえ、大溝(おおどぶ)に叩きこまれて散々な目に逢った。阿古十郎の前では、顎という言葉はもちろん、およそ顎を連想させるしぐさは一|切(さい)禁物なのである。
そういう異相を振りむけて、森の木立の間を覗きこんで見ると、『八幡の座』と呼ばれている苔のむした石の祠のそばに、払子(ほっす)のような白い長い顎鬚をはやした、もう八十に手がとどこうという、枯木のように痩せた雲水の僧が、半眼を閉じながら寂然(じゃくねん)と落葉の上で座禅を組んでいる。
阿古十郎は、枯葉を踏みながら、森の中へ入って行くと、突っ立ったままで、懐中から手の先だけだして、ぽってりした顎の先をつまみながら、
「お坊さん、いま、手前をお呼びとめになったのは、あなたでしたか」
「はい、いかにも、さよう……」
「えへん、あなたも、だいぶお人が悪いですな、わたしがお武家のように見えますか」
「なんと言われる」
「手前は、お武家なんという柄じゃない、お武家からにごりを取って、せいぜい御普化(おふけ)ぐらいのところです」
「いや、どうして、どうして」
「行というのは、まあ、たいていこうしたものなんでしょうが、でも、こんなところに坐っていると冷えこんで疝気(せんき)が起きますぜ。……いったい、どういう心願でこんなところにへたりこんでいるんですか」
「わしはな、ここであなたをお待ちしておったのじゃ」
「手前を?……こりゃ驚いた。手前は生れつきの風癲(ふうてん)でね、気がむきゃ、その日の風しだいで西にも行きゃあ東にも行く。……今日は自分の足がどっちへむくのか、自分でもはっきりわからないくらいなのに、その手前がここを通りかかると、どうしてあなたにわかりました」
老僧は、長い鬚をまさぐりながら、
「この月の今日、申の刻に、あなたがここを通りあわすことは、未生(みしょう)前からの約束でな、この宿縁をまぬかれることは出来申さぬのじゃ」
「おやおや」
「わしは、前の月の十七日から、断食をしながらここであなたが通るのを待っておった。……わしがここへ坐りこんでから、今日がちょうど二十一日目の満願の日。……これもみな仏縁、軽いことではござない」
老僧は、クヮッと眼を見ひらくと、まじろぎもせずに阿古十郎の顔を凝視(みつ)めていたが、呟くような声で、
「はあ、いかさま、な!」
慈眼ともいうべき穏かな眼なのだが、瞳の中からはげしい光がかがやき出して、顎十郎の目玉をさしつらぬく。総体、ものに驚いたことがない顎十郎だが、どうも眩しくて、まともに見返していられない。思わず首をすくめて、
「お坊さん、あなたの眼はえらい目ですな。……まぶしくていけないから、もうそっちをむいて下さい」
老僧は、会心の体でいくども頷いてから、
「……なるほど、見れば見るほど賢達理才の相。……睡鳳(ずいほう)にして眼底に白光(びゃっこう)あるは遇変不※(ぐうへんふぼう)といって万人に一人というめずらしい眼相。……天庭に清色あって、地府に敦厚(とんこう)の気促がある。これこそは、稀有(けう)の異才。……さればこそ、こうして待ちおった甲斐があったというものじゃ」
顎十郎は、すっかり照れて、首筋を撫でながら、
「こりゃどうも……。せっかくのお褒めですが、それほどのことはない。……生れつき、ぽんつくでしてね、いつも失敗ばかりやりおります。……今度もね、甲府金を宰領して江戸へ送るとちゅう、何だか急に嫌気がさし、笹子峠へ金をつけた馬を放りだしたまま、上総まで遊びに行って来たという次第。……とても、賢達の理才のというだんじゃありません」
のっそりと跼(かが)んで、
「まあ、しかし、褒められて腹の立つやつはない。おだてられるのを承知で乗りだすわけですが、二十一日も飲まず喰わずで手前を待っていたとおっしゃるのは、いったいどういう次第によることなんで」
「じつは、少々、難儀なことをお願いしたいのじゃ」
「いいですとも。……金はないが、これでも暇はありあまる男。……せいぜい褒めてくだすったお礼に、手前の力に及ぶことなら、どんなことでもお引きうけしましょう。
生得(しょうとく)、いっこう纒まりのつかぬ風来坊。二十八にもなるというのに、なんら、なすこともなく方々の中間部屋でとぐろを巻いて陸尺(ろくしゃく)、馬丁(べっとう)などという輩(てあい)とばかり交際(つきあ)っているので、叔父の庄兵衛がもてあまし、甲府勤番の株を買ってやったが、なにしろ、甲府というところは山ばかり。勤番衆といえば名だけはいかめしいが、徳川もそろそろ末世で、いずれも江戸を喰いつめた旗本の次男三男。端唄や河東節(かとうぶし)は玄人跣足(くろうとはだし)だが、刀の裏表も知らぬようなやくざ侍ばかり。
やくざのほうでは負(ひけ)は取らないが、その連中、気障(きざ)で薄っぺらで鼻持ちがならない。すっかり嫌気がさして甲府を飛びだし、笹子峠を越えて江戸へ帰ろうとする途中、不意に気が変って上総のほうへひン曲り、半年ばかりの間、木更津や富岡の顔役の家でごろごろしていたが、急に江戸が恋しくなり、富岡を発ったのがつい一昨日(おととい)。今度はどうやら無事に江戸まで辿りつけそう。
諸懐手(もろふところで)。袂を風にゆすらせながら、不知森のそばをノソノソと通りかかると、薄暗い森の中から、
「……お武家、お武家……」
たいして深い森ではないが、むかしから、この中へ入ると祟りがあると言いつたえて、村人はもちろん、旅の者も避けるようにして通る。
絶えて人が踏みこまぬものだから、森の中には落葉が堆(うず)高く積み、日暮れ前から梟(ふくろう)がホウホウと鳴く。
仙波阿古十郎(せんばあこじゅうろう)、自分では、もう侍などとはすっぱり縁を切ったつもり。いわんや、古袷に冷飯草履、どうしたってお武家などという柄じゃない。そのまま行きすぎようとすると、
「……そこへおいでのお武家、しばらく、おとどまり下さい、チトお願いが……」
こうなれば、どうでも自分のことだと思うほかはない。呼ばれたところで踏みとどまって、無精ッたらしく、
「あん?」
と、首だけをそっちへ振りむける。……いや、どうも、振るった顔で。
どういう始末で、こんな妙な顔が出来あがったものか。
諸葛孔明の顔は一尺二寸あったというが、これは、ゆめゆめそれに劣るまい。
眼も鼻も口もみな額際(ひたいぎわ)へはねあがって、そこでいっしょくたにごたごたとかたまり、厖大な顎が夕顔棚の夕顔のように、ぶらんとぶらさがっている。唇の下からほぼ四寸がらみはあろう、顔の面積の半分以上が悠々と顎の分になっている。末すぼまりにでもなっているどころか、下へゆくほどいよいよぽってりとしているというのだから、手がつけられない。
この長大な顎で、風を切って横行濶歩するのだから、衆人の眼をそば立たせずには置かない。甲府勤番中は、陰では誰ひとり、阿古十郎などと呼ぶものはなく、『顎』とか『顎十』とか呼んでいた。
もっとも、面とむかってそれを口にする勇気のあるものは一人もいない。同役の一人が阿古十郎の前で、なにげなく自分の顎を掻いたばかりに、抜打ちに斬りかけられ、危(あやう)く命をおとすところだった。
またもう一人は、顎に膏薬を貼ったまま阿古十郎の前へ出たので、襟首をとって曳きずり廻されたうえ、大溝(おおどぶ)に叩きこまれて散々な目に逢った。阿古十郎の前では、顎という言葉はもちろん、およそ顎を連想させるしぐさは一|切(さい)禁物なのである。
そういう異相を振りむけて、森の木立の間を覗きこんで見ると、『八幡の座』と呼ばれている苔のむした石の祠のそばに、払子(ほっす)のような白い長い顎鬚をはやした、もう八十に手がとどこうという、枯木のように痩せた雲水の僧が、半眼を閉じながら寂然(じゃくねん)と落葉の上で座禅を組んでいる。
阿古十郎は、枯葉を踏みながら、森の中へ入って行くと、突っ立ったままで、懐中から手の先だけだして、ぽってりした顎の先をつまみながら、
「お坊さん、いま、手前をお呼びとめになったのは、あなたでしたか」
「はい、いかにも、さよう……」
「えへん、あなたも、だいぶお人が悪いですな、わたしがお武家のように見えますか」
「なんと言われる」
「手前は、お武家なんという柄じゃない、お武家からにごりを取って、せいぜい御普化(おふけ)ぐらいのところです」
「いや、どうして、どうして」
「行というのは、まあ、たいていこうしたものなんでしょうが、でも、こんなところに坐っていると冷えこんで疝気(せんき)が起きますぜ。……いったい、どういう心願でこんなところにへたりこんでいるんですか」
「わしはな、ここであなたをお待ちしておったのじゃ」
「手前を?……こりゃ驚いた。手前は生れつきの風癲(ふうてん)でね、気がむきゃ、その日の風しだいで西にも行きゃあ東にも行く。……今日は自分の足がどっちへむくのか、自分でもはっきりわからないくらいなのに、その手前がここを通りかかると、どうしてあなたにわかりました」
老僧は、長い鬚をまさぐりながら、
「この月の今日、申の刻に、あなたがここを通りあわすことは、未生(みしょう)前からの約束でな、この宿縁をまぬかれることは出来申さぬのじゃ」
「おやおや」
「わしは、前の月の十七日から、断食をしながらここであなたが通るのを待っておった。……わしがここへ坐りこんでから、今日がちょうど二十一日目の満願の日。……これもみな仏縁、軽いことではござない」
老僧は、クヮッと眼を見ひらくと、まじろぎもせずに阿古十郎の顔を凝視(みつ)めていたが、呟くような声で、
「はあ、いかさま、な!」
慈眼ともいうべき穏かな眼なのだが、瞳の中からはげしい光がかがやき出して、顎十郎の目玉をさしつらぬく。総体、ものに驚いたことがない顎十郎だが、どうも眩しくて、まともに見返していられない。思わず首をすくめて、
「お坊さん、あなたの眼はえらい目ですな。……まぶしくていけないから、もうそっちをむいて下さい」
老僧は、会心の体でいくども頷いてから、
「……なるほど、見れば見るほど賢達理才の相。……睡鳳(ずいほう)にして眼底に白光(びゃっこう)あるは遇変不※(ぐうへんふぼう)といって万人に一人というめずらしい眼相。……天庭に清色あって、地府に敦厚(とんこう)の気促がある。これこそは、稀有(けう)の異才。……さればこそ、こうして待ちおった甲斐があったというものじゃ」
顎十郎は、すっかり照れて、首筋を撫でながら、
「こりゃどうも……。せっかくのお褒めですが、それほどのことはない。……生れつき、ぽんつくでしてね、いつも失敗ばかりやりおります。……今度もね、甲府金を宰領して江戸へ送るとちゅう、何だか急に嫌気がさし、笹子峠へ金をつけた馬を放りだしたまま、上総まで遊びに行って来たという次第。……とても、賢達の理才のというだんじゃありません」
のっそりと跼(かが)んで、
「まあ、しかし、褒められて腹の立つやつはない。おだてられるのを承知で乗りだすわけですが、二十一日も飲まず喰わずで手前を待っていたとおっしゃるのは、いったいどういう次第によることなんで」
「じつは、少々、難儀なことをお願いしたいのじゃ」
「いいですとも。……金はないが、これでも暇はありあまる男。……せいぜい褒めてくだすったお礼に、手前の力に及ぶことなら、どんなことでもお引きうけしましょう。
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- http://docomo.ne.jp/cp/as-rslt.cgi?pno=1&key=%8a%bf%8e%9a+%82%e2%82%ea%82%c5%82%e7&sid=00
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子無事出産されたの報告がありコメントいただきました。この少子化の時代に頑張ってくれました。おめでとうございます!次、永久幹事長木虎君と次期幹事長の東南君に書いてもらう予定です。しばらくお待ちを。 永久生徒会長:三木 -
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