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顎十郎捕物帳 05 ねずみ - 久生 十蘭 ( ひさお じゅうらん )

  • 戦時版 興亞日本社『新時代捕物帳』横溝正史城昌幸久生十蘭S15
  • 探偵小説 金狼 * 久生十蘭
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顎十郎捕物帳 ねずみ    藤波友衛(ふじなみともえ)  坊主畳を敷いた長二十畳で、部屋のまんなかに大きな囲炉裏が切ってある。磨出(とぎだ)しの檜の羽目板に、朱房のついた十手や捕繩がズラリとかかって、なかなか物々しい。
 数寄屋橋内(すきやばしうち)、南番所御用部屋。まだ朝が早いので、下ッ引の数もほんの三四人、炉端にとぐろを巻いて、無駄ッ話をしているところへ、不機嫌な突袖(つきそで)でズイと入って来た卅二三の男。土間雪駄(せった)をぬぐと、畳ざわりも荒々しく上って来て、焼腹(やけばら)に羽織の裾をまくって、炉端へ坐りこむ。岡ッ引があわてて坐り直してごくろうさまでございます、と挨拶したが、そっくり返って返事もしない。
 どこもここも削(そ)いだような鋭い顔で、横から覗くと鼻が嘴のように尖って見える。結ぶと隠れてしまうような薄い唇をへの字にまげてムッと坐っている。
 藤波友衛。南番所の並同心で、江戸で一二といわれる捕物の名人南町奉行所一人で背負って立っているといってもいいほどのきれものだが、驕慢で気むずかしくて、ちょっと手におえない男である。藤波の不機嫌と言ったら有名なもので、番所では、ひとりとしてピリつかぬものはない。
 一年中、概して機嫌のいい時は少いのだが、今日はとりわけ、どうも、いけないらしい。切長な細い眼の中でチラチラと白眼を光らせ、頬のあたりを凄味にひきつらしている。
 岡ッ引どもは霜に逢った菜ッぱのようにかじかんでしまって、膝小僧をなでたり、上前(うわまえ)をひっぱったり、ひとりとして顔をあげるものもない。
 藤波は上眼づかいで、ひとりひとりジロジロ睨(ね)めまわしていたが、とつぜん癇声(かんごえ)をあげて、
「だいぶ暇らしいの、結構だ。……どうした、そんなにかじかんでいねえで、なかんずくの大ものだという、いまのつづきをしたらどうだ。……飛んだ深|笑靨(えくぼ)で、それがふるいつきてえほどいいのだと。面白れえじゃねえか、それから、どうした」
 貧相な撥鬢奴(ばちびんやっこ)は、すっかり恐れてしまって、首に手をやって、
「えへへ、どうも、とんだことを……」
 藤波はいよいよ蒼ずんで、
「なにも尻込みをすることはなかろう。……それとも、俺がいちゃ気色(きしょく)が悪くて話も出来ねえか」
「と、とんでもない」
 と、息もたえだえ。
 藤波は、唇の端だけで、もの凄くニヤリと笑って、
「そうか。飛んでもねえということを知っていたのか。なら、まだ人間並みだ。俺もいい下廻りを持ってしあわせだ、ふふん」
 中で年配なのが、おそるおそる顔をあげて、
「なにか、あッしども、しくじりでも……」
「笑わせるな。しくじりなんて気取った段じゃねえ。……なんだ、今度のざまア。てめえら、それで生きているのか、性があるのか」
「な、なんですか、一向にどうも……」
「ざまア見ろ、そんなすッ恍(とぼ)けたことを言ってやがるから、しょうべん組などに出しぬかれるのだ。おい、俺の面をどうする」
「ですから、どういう……」
「聞きたけりゃァ言って聞かしてやる。……番代りの晦日(みそか)に伝馬町(てんまちょう)の堺屋(さかいや)へ検死に行ったのはどいつだ。……嘉兵衛と鶴吉を虎列剌(ころり)と判定(きめつけ)てうっそり帰って来たのは、いってえどいつだ。言え、この中にいるだろう」
 大風に吹かれた下草のようにハッとひれ伏してしまう。
 藤波は、キリキリと歯軋(はぎし)りをして、
「いかに虎列剌がこの節の流行物(はやりもの)でも、吐瀉下痢(はきくだ)して息をひきとれば、これも虎列剌ですはひどかろう。いってえ、おめえらの職業(しょうべえ)はなんだ。……おい、よく聞け。呉服橋(ごふくばし)ではぬからずに手代の忠助をひっ撲(ぱた)いて、わたくしが毒を盛ったのでございますと泥を吐かしたそうな。……当節、番所は呉服橋だけにある。南じゃ朝っぱらから色ばなし。……いや、見あげたもんだ、感じ入ったよ」
 癇性に身を反らして、ひれ伏す岡ッ引どもを、骨も徹れとばかり睨みつけていたが、ふと、眼を外(そ)らして、御用部屋の奥のほうで、頭から絆纒を引ッかぶって寝ている男を見つけると、クヮッと眼尻を釣りあげて、
「だれだ、そこらで寝ころんでいるやつア、面ア出せ、おい」
 ゆっくり絆纒をひきのけて起上ると、のっそり囲炉裏のほうへ近づいて来たのは、藤波の右腕といわれるせんぶりの千太、生れてからまだ笑ったことがないという苦ッ面の眉間に竪皺(たてじわ)をよせてムンズリと膝を折ると、
「寝ていたわけじゃアありません、泣いてたんでございます。実ァ……」
 と言って、ガックリとなり、
「実は、あッしが検死にまいりました。なんとも、お詫びのもうしようもありません」
 藤波は、えッと息をひいて、
「おめえが、……おめえが行って縮尻(しくじ)ったとは、それは、どういう次第で……」
 まともに顔をふり向けると、
「それが、……赤斑(あかふ)もあれば、死顔は痴呆(こけ)のよう。下痢(くだ)したものは、米磨汁(とぎじる)のようで、嘔吐(はい)たものは茶色をしております。どう見たって、虎列剌に違いねえので……」
 藤波は深く腕を組んで考え沈んでいたが、ふいに顔をあげると、
「そりゃア、確かだろうな」
「へい。……石井順庵先生の御診断(おみたて)でございます。あッしといたしましても、それ以上には、……」
 藤波は、かすかに頷いて、
「それで、その毒はなんだ」
「ですから、はなッから、盛り殺したなんてことは誰れの考えにもなかッたことなんで……」
 藤波は焦ら立って、
「すると、石井先生にも判定のつかねえような毒を、どこのどいつが見分けたというのだ」
 千太は、無念そうに唇を噛んで、
「またしても、顎の化物の仕事なんでございます」
 藤波は、ちぇッと舌を鳴らして、
「おい、あの顎はなんだ、神か、仏かよ。……多寡(たか)が番所の帳面繰りじゃねえか、馬鹿にするな。なるほど、今まではちッとは小手先の器用なところも見せたが、そこまでの智慧があろうとは思われねえ。……おい千太、念のために聞くが、では、その忠助という手代は、石井先生にも判らねえような巧妙な毒を盛れるような、そんな才覚(さいかく)のありそうなやつなのか」
「飛んでもない、まるっきり、ふぬけのような男なんでございます。とてもそんなことをしそうなやつじゃアございません」
 藤波は、なんとも冷然たる顔つきになって、急に立ち上ると、
「おい千太、出かけよう」
「えッ、出かけようといって、一体、どこへ」
「わかってるじゃねえか、顎化(あごばけ)と一騎打ちに行くのだ。……口書(くちがき)も爪印(つめいん)もあるものか、どうせ、拷問(いた)めつけて突き落したのにちげえねえ。……ひとつ、じっくりと調べあげて、ぶっくらけえしてやろう。


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