顎十郎捕物帳 07 紙凧 関連リンク

久生 十蘭 のオススメ作品

作家別索引

作品別索引

顎十郎捕物帳 07 紙凧 - 久生 十蘭 ( ひさお じゅうらん )

  • 戦時版 興亞日本社『新時代捕物帳』横溝正史城昌幸久生十蘭S15
  • 探偵小説 金狼 * 久生十蘭
次のページ
顎十郎捕物帳 紙凧    新酒 「……先生お茶が入りました」 「う、う、う」 「だいぶと、おひまのようですね。……鞴祭(ふいごまつり)の蜜柑がございます、ひとつ召しあがれ」 「かたじけない。……季節はずれに、ひどくポカつくんで、うっとりしていた」
 大きなあくびをひとつすると、盆のほうへ手をのばして蜜柑をとりあげる。
 十一月の入りかけに、四五日ぐっと冷えたが、また、ねじが戻って、この三四日は、春のような暖かさ。
 黒塗の出格子窓から射しこむ陽の光が、毳(けば)立った坊主畳(ぼうずだたみ)の上へいっぱいにさす。
 赤坂、喰違(くいちがい)の松平佐渡守(まつだいらさどのかみ)の中間部屋
 この顎十郎、どういうものか、中間、陸尺、馬丁なぞという手やいに、たいへん人気がある。あちらの部屋からも、こちらの部屋からも、どうかわっしどものほうへも、と迎いに来る。
 ※(ふき)のすりきれた古袷と剥げッちょろ塗鞘の両刀だけの身上(しんしょう)。
 本郷の金助町に、北町奉行所与力筆頭をつとめる森川庄兵衛というれっきとした叔父がいて、そこへさえ帰れば、小遣いに困るようなこともないのだが、この十月甲府の勤番をやめてヒョロリと江戸へ舞いもどって来た日いらい、ほうぼうの部屋をころがり歩いて、叔父の家へは消息(しょうそく)さえしない。
 叔父兵衛の組下で神田御用聞、ひょろりの松五郎だけが顎十郎が江戸に帰って来ていることを知っているが、金助町へ知らせないようにと堅く口どめしてある。
 そういうわけだから、金ッ気などのあろうわけがない、まるっきり文無し。中間、陸尺のほうでもそんなことは先刻ご承知。
 無理にじぶんの部屋へ引っぱってカモにしようの、振るまいにつこうのというのではない。気ままに寝ッころがらしておいて、寄ってたかって世話を焼き、ぽってりと長い顎を撫でて、うへえと悦に入る長閑(のどか)な顔が見たいのだという。
 脇坂(わきざか)の部屋を振りだしに榎坂(えのきざか)の山口周防守(やまぐちすおうのかみ)の大部屋馬場先門(ばばさきもん)の土井大炊頭(どいおおいのかみ)、水道橋水戸(みと)さまの部屋というぐあいに順々にまわって、十日ほど前から、この松平佐渡守の中間部屋に流連荒亡(りゅうれんこうぼう)している。
 顎十郎は、色のいい蜜柑を手の中でころがしながら、
「おい、三平、これが鞴祭の蜜柑か」
「へい」
 顎十郎はニヤリと笑って、
「ごまかしても、だめだ。……こりゃあ、鞴祭の撒(ま)き蜜柑じゃねえ、屋敷御厨(みくりや)部屋からくすねてきたんだろう」
 三平という中間は、えへ、と頭へ手をやって、
「あいかわらず先生にはかなわない。……ど、どうして、それがわかります。……蜜柑にしるしでもついていますか」
「これは、河内(かわち)で出来る八代(やつしろ)』という変り蜜柑で、鍛冶屋鋳物師(いものし)の二階の窓から往来(おうらい)へほおる安蜜柑じゃねえ。……ご親類松平河内守(まつだいらかわちのかみ)から八日祭のおつかいものに届いたものに相違ない。……それを、お前がチョロリとちょろまかして来た。……どうだ、お見とおしだろう」
 三平は恐れ入って、
「まったくのその通りなんで……。さっきお雑蔵(ぞうぐら)の前をとおると、入口の戸があいていてトバ口に蜜柑の籠がつんだしてある。……いい色ですから、先生にお目にかけようと思って……」
「つかみ出して、早いとこ、臍(へそ)のあたりへ五つ六つ落しこんだ……」
「えッ、臍……どうして、そんなことまで」
蜜柑の肌に褌(ふんどし)のあとがついている」
「じょ、冗談……」
 顎十郎は、ゆっくり蜜柑をむきながら、
「だいぶ、ひっそりしているな、みな、出はらったか」
「さきほどお城からお下りになりますと、すぐお伴をそろえて神田橋の勘定屋敷(かんじょうやしき)へお出かけになりましたんで……」
「この月は、佐渡守はお勝手方の月番じゃなかったはずだが」
「へえ、そうなんで。……あッしどもは、くわしいことは知りませんが、なにか、金座(きんざ)にどえらい間違いがあったんだそうで……」
「ほほう」
駕籠があがるとき、チラとお見かけしたところじゃ、なにか、だいぶとむつかしい顔をしていらしたようです。……日頃、落着いた殿さまが、あんな取りつめた顔をなさるからは、なにか、よっぽどのことがあったのだろうと思いますが……」
 のんきなことを言いあっているとき、部屋上框(かみがまち)のほうで、
「ちょいと……おたずね申します」
 三平は、いどころで、無精ッたらしく首だけ上框のほうへねじむけ、
「なんだ、なんだ……なにをおたずね申してえんだ。……いま手がふさがっているから、そこで大きな声で我鳴(がな)りねえ」
「こちらに、もしや、仙波先生がおいでではありませんでしょうか」
「仙波先生なら……」
 顎十郎は首をふって、
「いねえと言え、いねえと言え」
 上框のほうでは、その声を聞きつけて、
「そういう声は阿古十郎さん。……居留守をつかおうたって駄目です、ここまで筒ぬけですよ」
 顎十郎は、額へ手をやって、
「ほい、しまった、聞えたか」
「聞えたかはないでしょう。……あっしですよ、ひょろ松です」
「うむ、ひょろ松か。……わかったらしょうがない、まあ、上れ」
 大きな囲炉裏の縁をまわってこっちの部屋へやってきたのは例のひょろりの松五郎。
 二升入りの角樽(つのだる)を投げだすように坊主畳の上へおくと、首すじの汗をぬぐいながら、
「あなたのいどころを捜すので、お曲輪(くるわ)中の大部屋をきいてまわりましたよ。……脇坂の部屋へ行きゃ榎坂へ行った。……榎坂へ行きゃ、土井さまの部屋へ行った。……この角樽をさげて汗だくだく、足を擂木(すりこぎ)のようにしてようやく捜しあてたのに、いねえと言えはないでしょう」
 顎十郎は、長い顎のさきを撫でながら、のんびりした声で、
「お前はとかく厄介なことばかり持ちこむんで恐れる。……見りゃあ、角樽なんかかつぎこんだようだが、これは悪いきざしだ。また、いつものように、折入ってひとつ、お願い、と来るのじゃないのか。……おれは、もうごめんだぜ」
 ひょろ松は喰いさがって、
「そう早く話がわかってくださりゃ、これに越したことはありません。……じつは、お見とおしの通りなんで。……ときに、これは、昨日品川へついたばかりの堺の新酒。……わずかばかりですが持ってまいりました」
 顎十郎は、いまいましそうな顔で、
「長なが旱(ひでり)つづきのところへ、灘(なだ)からついた新酒というんじゃ、聞いただけでも待ちきれねえ」
「まあ、ひとつ召しあがれ」
 茶碗の茶をすてて、角樽からドクドクとついで差しだすのを、受けとってグイ飲みすると、
「……このあいだの時化(しけ)で、遠州灘あたりでだいぶん揉まれたと見えて、よく、こなれている。……これは至極(しごく)。……それで、願いというのはどんなことだ」
 ひょろ松は膝をかたくして、
「……じつは、きのう金座から出た二十万両……。そのうち三万二千両の金が、そっくり掏りかえられたんで……」
「ほほう、三万二千両とは大きいな。……金座に、なにか騒動があったという話は、いま聞いたばかしのところだったが。……それで、いってえ、そりゃあ、どうしたという間違いだったんだ」
「……節季の御用神田橋のお勘定屋敷へおくる御用金で、万両箱が十六、千両箱が四十。……金座のほうからは常式方送役人(じょうしきかたおくりやくにん)が二人、勘定所からは勝手勘定吟味役(かってがたかんじょうぎんみやく)が二人つきそって、常盤橋(ときわばし)ぎわから船で神田川をこぎのぼる途中稲荷河岸(とうかんがし)のあたりで上総の石船に衝(つ)っかけられ、不意をくらって、四人の役人は船頭もろとも、もろに川なかへ投げだされ、御用船のほうは上り下りの荷足(にたり)の狭間(はざま)へはさまって退(の)くも引くもならなくなってしまった……」
 顎十郎は話などはそっちのけ。三平と引っくみになって、大恐悦(おおきょうえつ)のていで間をおかず茶碗やりとりをしている。
 ひょろ松は気にして、
「聞いているんですか」
 顎十郎は※(おく)びをしながら、
「聞いている、聞いている。……ひッ」
「……役人のはうは、濡れねずみになって船へはいあがり、ぶつぶつ言いながら船頭を急がせて川なかへ押しだそうとしたが、いまも申したように、ギッシリ荷足と組みあってしまって思うようにならない。


次のページ

久生 十蘭 (ひさお じゅうらん) 以外のオススメ作品

顎十郎捕物帳 07 紙凧 のリンク元

「顎十郎捕物帳 07 紙凧-久生 十蘭」の関連ページ


関連ページ
Web Services by Yahoo! JAPAN