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顎十郎捕物帳 11 御代参の乗物 - 久生 十蘭 ( ひさお じゅうらん )

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顎十郎捕物帳 御代参の乗物    神隠(かみかく)し  もう子刻(ここのつ)に近い。  寒々としたひろい書院の、金蒔絵(きんまきえ)の京行灯(ぼんぼり)をへだてて、南町奉行池田甲斐守と控同心藤波友衛が、さしうつむいたまま、ひっそりと対坐している。
 深沈(しんちん)たる夜気の中で、とぎれとぎれに蟋蟀(こおろぎ)が鳴いている。これで、もうかれこれ四半刻。どちらも咳(しわぶき)ひとつしない。
 江戸一といわれる捕物の名人南町奉行所の御威勢は、ひとえにこの男の働きによるとはいえ、布衣(ほい)の江戸町奉行が、貧相な同心づれとふたりっきりで対坐するなどは、実もって前代未聞、なにかよくよく重大な事態がさしせまっているものと思われる。
 きょうの夕刻、お曲輪(くるわ)にちかい四谷見附附近で、なんとも解(げ)しかねるような奇異な事件が起った。
 十月十三日は、浅草どぶ店(だな)の長遠寺(ちょうえんじ)の御影供日(おめいくび)なので、紀州徳川|茂承(もちつぐ)の愛妾、お中※(ちゅうろう)の大井(おおい)は、例年どおり御後室(ごこうしつ)の代参をすませると、総黒漆(そうくろうるし)の乗物をつらねて猿若町(さるわかまち)の市村座へまわり、申刻(ななつ)(午後四時)まで芝居を見物し、飯田町|魚板(まないた)橋から中坂をのぼり、暮六ツ(午後六時)すこしすぎに四谷御門、外糀町口(そとこうじまちぐち)の木戸四谷見附交叉点)を通ってお上屋敷(いまの赤坂離宮のある地域)の御正門へ入ったが、外糀町口の木戸から正門までのわずか五六町のあいだ、――長井(ながい)の山とお濠(ほり)と見附木戸でかこまれた袋のような中で、十三人の腰元が乗物もろとも煙のように消えうせてしまった。
 番所の控えには、『酉刻(むつ)上刻、紀州様御内、御中※以下二十二挺』と、ちゃんと記帳されたのに、正門を入ったときは、それが、わずか九挺になっていた。……ところで、その十三挺の乗物はこの袋の中から出ていないのである。
 麻布善福寺(あざぶぜんぷくじ)のヒュースケン襲撃事件があって以来、にわかに町木戸がふやされ、暮六ツを合図に木戸をとざし、それ以後の通行はいちいち記帳されることになっている。
 長井赤土山について安珍坂(あんちんざか)をおりたとすると、青山一丁目|権田原(ごんだわら)の木戸
 お濠にそって紀伊国坂をくだったとして、そこから外桜田(そとさくらだ)へぬけるには、喰違御門か赤坂御門。
 溜池のほうへ行くには赤坂見附木戸
 赤坂表町(おもてまち)へは弾正坂(だんじょうざか)の辻番所。
 どんなことがあっても、いずれかの桝形(ますがた)か木戸で誰何(すいか)され、お改めをうけなければならぬはずなのに、乗物にも徒歩(かち)にも、それがぜんぜん通っていない。くどいようだが、木戸うちからは出ていないのである。
 消えうせた十三人の腰元のうち七人は、ひと口に『那智衆(なちしゅう)』といわれる新那智流の小太刀の名手(つかいて)。しばしば諸侯から所望(しょもう)されたほどの名誉のものどもで、毎年十月十五日の紀州侯の誕生日には、おなじく御休息(ごきゅうそく)の染岡(そめおか)の腰元と武芸試合を御覧にいれることになっているが、江戸下町からあがった染岡の腰元どもの手にあうはずがない。毎年、大井の組が勝をとって、お褒めにあずかってきた。
 その恒例の十五日は明後日にせまっている。局(つぼね)あらそいというのはよくあることだから染岡が大井の寵をねたみ、相手の力をそぐために、じぶんの局へでも引きこんで監禁(おしこ)めてあるのではないかと思い、奥年寄老女に命じて、ひそかに染岡の局をうかがわせたが、これは無駄骨におわった。東門、巽門(たつみもん)、紀伊国坂門(きのくにざかもん)、鮫橋門(さめがはしもん)と、はじめから、十二のどの門も通っていないのである。
 こうなれば、もう神隠しにでもあったか、大地に吸いこまれてでもしまったかと思うよりほかはない。あっけにとられて顔を見あわせるばかりだった。
 もっとも、あとになって考えると、この日、ちょっと妙なことがあった。
 本迹枢要(ほんじゃくすうよう)、陀羅尼品(だらにぼん)の読経(どきょう)がすんで、これから献香花(けんこうか)の式に移ろうとするとき、下座(しもざ)にいたひわという腰元が、とつぜん、あッと小さな叫び声をあげて顔を伏せてしまった。となりに坐っていたお伽坊主(とぎぼうず)の朝顔という腰元が、そっとたずねると、いま、お祖師(そし)様が憐れむような眼つきで、じッとわたしの顔をごらんになった、と妙なことを口走った。
 一行市村座へついたのは巳刻(よつ)(午前十時)すぎで、茶屋からすぐ桟敷へ通ると、簾(みす)をおろして無礼講(ぶれいこう)の酒宴がはじまった。
 狂言は黙阿弥(もくあみ)の『小袖曽我薊色縫(こそでそがあざみのいろぬい)』で、小団次(こだんじ)の清心(せいしん)に粂三郎(くめさぶろう)の十六夜(いざよい)、三十郎(さんじゅうろう)の大寺兵衛(おおでらしょうべえ)という評判の顔あわせ。
 湧きかえるような掛け声をあびながら小団次が強請(ゆすり)の啖呵(たんか)を切っていると、桟敷の下で喧嘩がはじまった。足を踏んだ、踏まぬという埓もない酔漢同士のつかみあいだったが、このてんやわんやの騒ぎの最中に、どこからともなく、こんな呼び声がきこえてきた。
「帰りが、こわいぞ。帰りがこわいぞ」
 海洞(ほらあな)に潮がさしこんでくるような異様に朧(おぼ)ろな声で、はっきりと三度までくりかえした。
 なにしろ、そんな騒ぎのおりからでもあるし、大して気にするものもなかったが、先刻(せんこく)のひわという腰元だけは、これを聞くと、また血の気をなくして、
「あ、あれは、お祖師様のお声です。……ああ、怖い、おそろしい」
 と、耳をふさいで突っぷしてしまった。
 なにをつまらぬ、で、そのときは笑いとばしたが、このことが、なんとなく不気味に朝顔のこころに残った。
「ひわと申すものは、日ごろから癇のつよい娘でございまして、よく痙攣(ひきつ)けたり倒れたりいたします。たぶん、夢でも見てそんなことを口走ったのでございましょうが、またいっぽうから考えますと、日ごろの信心を愛(め)でられ、お祖師様がひわの口を通して、ご示験(じげん)くださったのではありますまいか。埓もないことのようですが、ひとこともうし添えます」
 という大井申立てだった。
 まだひと通りもある宵の口に、十三人もいっぺんに神隠しにあうなどというのは前代未聞のことで、ただただ、奇ッ怪というよりほかはなかったのである。

   南と北

 甲斐守がふいと顔をあげる。
 老中阿部伊勢にみとめられ、小十人頭(こじゅうにんがしら)から町奉行に抜擢(ばってき)された秀才。まだ、三十そこそこの若さである。蒼白い端正な面(おもて)を藤波のほうにふりむけると、
「言うまでもないことだが、古くは絵島生島(えしまいくしま)事件。近くは中山法華経寺(なかやまほけきょうじ)事件というためしもある。……さなきだに、とかくの世評のある折柄、御三家の奥女中芝居見物の帰途、十三人もそろって駈落ちしたなどと取沙汰されるようなことにでもなれば、徳川家(おかみ)御一門の威信にかかわるゆゆしい問題。……さような風評の立たぬうちに、いかなる手段(てだて)を講じても事件の本末をたずね、十三人の所在をあきらかにせねばならぬ」
 といって、言葉を切り、
「たんに、世評のことばかりではない。実は、このことは、まだ茂承(もちつぐ)さまには内密にしてある。


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