顎十郎捕物帳 23 猫眼の男 - 久生 十蘭 ( ひさお じゅうらん )
顎十郎捕物帳
猫眼の男
府中(ふちゅう)
「……すみませんねえ。これじゃ冥利につきるようで身体がちぢみます」
「やかましい、黙って乗っておれというのに」
駕籠に乗っているのは、ついこのあいだまで顎十郎の下まわりだった神田鍋町の御用聞、ひょろりの松五郎。
かついでいるほうは、もとは江戸一の捕物の名人で、今はただの駕籠屋。仙波阿古十郎あらためアコ長。相棒は九州の浪人くずれで雷土々呂進(いかずちとどろしん)こと、とど助。
とど助はどうでもいいが、顎十郎のほうは、ひょろ松にしてみればなんといっても以前の主人すじ。いわんや、捕物御前試合で勝名のりをうけたほどの推才活眼(すいさいかつがん)、師匠とも先生ともあおいできた仙波阿古十郎。
むこうは、ふっつりと縁を切ったつもりかも知れないが、こっちは切られたとは思ってない。駈けつけて行って袖にすがれば、いつでも智慧を貸して貰われると思っている。
本来なら、自分のほうが棒鼻につかまって引っかついで行くべきところを、こちらが師匠にかつがれて駕籠の中で膝小僧をだいて揺られているというんだから、これは、どうも気がさすのが当然(あたりまえ)。
もっとも、ひょろ松のほうで、おい、駕籠と大束をきめこんだわけじゃない。事実のところザックバランに言えば、嫌がるのを無理やりに乗せられた……。
五月五日は、府中|六所明神(ろくしょみょうじん)の名代の暗闇祭(くらやみまつり)。大国魂(おおくにたま)さまの御霊遷(みたまうつし)のある刻限前に、どうでも府中まで駈けつけねばならぬ用事があって、甲州街道の駕籠立場まで来て、むこうっ脛の強そうなのを選んでいると、いきなり顎十郎にとっつかまってしまった。
「おお、ひょろ松じゃないか。大仰(おおぎょう)な旅支度で、いったい、どこへ行く」
正月の狸合戦以来、かけちがって半年近くあわなかったところだったので、ひょろ松も懐かしく、顎十郎のそばへ駈けて行くと、半纒の襟にすがらんばかりにして、
「おお、これは先生、……阿古十郎さん、いつも御機嫌よくて……」
顎十郎のアコ長は、有名な冬瓜顎をツン出して、
「挨拶などはどうでもいい。いったいぜんたい、どこへ行く」
「実は、府中まで急な用事がありまして、どうでも夕方までにむこうへ着かなくてはならねえという大早乗。いま威勢のいい駕籠をさがしているところなンです」
「おお、それはちょうどいい都合だった」
「えッ、ちょうどいい都合とおっしゃると……」
「俺の駕籠があいてるから、これに乗れ」
「じょ、じょ、ご冗談……」
「なにもそう反っくり返って驚くほどのことはあるまい。ここ五日ばかりあぶれつづきで弱っていたところだ。いい折だからお前を乗せてやる」
「どうしまして、そんなもったいねえことが……」
と言いながら、ヒョイとかたわらにおいてある駕籠を見ると、これがひどい。
吉原土手で辻斬にあったやつがお鉄漿溝(はぐろどぶ)の中へころげこんで、そこに三年|三月(みつき)も浸(つか)っていたというようなおんぼろ駕籠。
垂れはケシ飛び凭竹(もたれ)は干割れ、底がぬけかかったのを荒削りの松板を釘でぶっつけてある。この駕籠で七里半の道をゆられて行ったら、まず命がもたない。
ひょろ松は、恐れをなし、
「うわッ、こいつアいけねえ。この駕籠じゃどうも……」
とど助は、花和尚魯智深(かおしょうろちしん)のような大眼玉を剥(む)いて、腕まくりをしながらアコ長のほうへ振りかえり、
「こやつは不とどきな奴ですな。むかしの主人が食の料をうるために乗ってくれとことをわけてたのんでおるのに、素見(ひや)かすというのは怪しからん。こういう不人情なやつは、脛でもたたき折って、否応なしに駕籠の中へドシこんでしまわッせ。拙者もお手つだいするけン」
ひょろ松は、手をあわせて、
「乗ります、乗ります。観念して乗せていただくことにしますから、そんな凄い顔をしないでください」
ひょろ松は、ほうほうの態で駕籠のほうへ近よりながら、
「いや、どうもひどい目にあうもんだ。……では、はなはだ申しわけありませんが、どうかよろしくお願い申します」
と、草鞋の紐をときかけると、アコ長は駕籠の前へ立ちふさがり、
「まア、まア、待ってくれ。乗るのはいいが、今すぐ駈けだすというわけには行かん。実は、昨日からなにも食っていねえので、このままじゃア駕籠を持ちあげることさえ出来やしない。ともかく、二人に飯を食わせてからのことにしてくれ」
「こりゃア驚いた、それもわたしが払うんで」
「まあ、そうだ」
「乗りかかった駕籠だ。もう、観念しまっせ」
二人のうしろに喰いついて、ひょろ松が渋しぶ立場へ入ると、アコ長ととど助は落着いたもので、芋豆腐(いもどうふ)を肴にいっぱい飲(や)りだした。
ひょろ松は、あわてて、
「こりゃア、どうも弱った。そうゆっくり腰をすえられちゃア困ります。なにしろ、あっしは大急ぎなンで……」
とど助は、気にもかけぬふうで、
「まあ、まア、そう急ぐことはない。これから府中までは七里半の道。じゅうぶんに兵糧(ひょうろう)を入れておかんことには早駈けすることが出来ん。兵には糧、駕籠屋には酒。ちゃんと兵法の書にも書いてある。あんたもあわてずドシコと飯でもつめこんでおきまっせ」
銀簪(ぎんかんざし)
ようやく腰をあげたのが、正午(ひる)すぎの八ツごろ。
アコ長もとど助も空っ腹にむやみに飲んだもんだからへべれけのよろよろ。一歩は高く一歩は低くというぐあいに、甲州街道を代田橋から松原のほうへヒョロリヒョロリとやって行く。
駕籠の中のひょろ松は大|時化(しけ)にあった伝馬船のよう。駕籠が揺れるたびに、つんのめったりひっくりかえったり、芋の子でも洗うような七転八倒(しってんばっとう)。
座蒲団なんてえものもなく、荒削りの松板に直(ぢか)に坐っている上にあっちこっちにぶっつけるもんだから頭じゅう瘤(こぶ)だらけ。
ひょろ松は、情ない声で、
「もしもし、お二人さん。なんとかも少しお急ぎくださるわけにはまいりますまいか。このぶんじゃ府中へつくと夜があけてしまいます」
アコ長は、膠(にべ)もなく、
「まア、あわてるな。
かついでいるほうは、もとは江戸一の捕物の名人で、今はただの駕籠屋。仙波阿古十郎あらためアコ長。相棒は九州の浪人くずれで雷土々呂進(いかずちとどろしん)こと、とど助。
とど助はどうでもいいが、顎十郎のほうは、ひょろ松にしてみればなんといっても以前の主人すじ。いわんや、捕物御前試合で勝名のりをうけたほどの推才活眼(すいさいかつがん)、師匠とも先生ともあおいできた仙波阿古十郎。
むこうは、ふっつりと縁を切ったつもりかも知れないが、こっちは切られたとは思ってない。駈けつけて行って袖にすがれば、いつでも智慧を貸して貰われると思っている。
本来なら、自分のほうが棒鼻につかまって引っかついで行くべきところを、こちらが師匠にかつがれて駕籠の中で膝小僧をだいて揺られているというんだから、これは、どうも気がさすのが当然(あたりまえ)。
もっとも、ひょろ松のほうで、おい、駕籠と大束をきめこんだわけじゃない。事実のところザックバランに言えば、嫌がるのを無理やりに乗せられた……。
五月五日は、府中|六所明神(ろくしょみょうじん)の名代の暗闇祭(くらやみまつり)。大国魂(おおくにたま)さまの御霊遷(みたまうつし)のある刻限前に、どうでも府中まで駈けつけねばならぬ用事があって、甲州街道の駕籠立場まで来て、むこうっ脛の強そうなのを選んでいると、いきなり顎十郎にとっつかまってしまった。
「おお、ひょろ松じゃないか。大仰(おおぎょう)な旅支度で、いったい、どこへ行く」
正月の狸合戦以来、かけちがって半年近くあわなかったところだったので、ひょろ松も懐かしく、顎十郎のそばへ駈けて行くと、半纒の襟にすがらんばかりにして、
「おお、これは先生、……阿古十郎さん、いつも御機嫌よくて……」
顎十郎のアコ長は、有名な冬瓜顎をツン出して、
「挨拶などはどうでもいい。いったいぜんたい、どこへ行く」
「実は、府中まで急な用事がありまして、どうでも夕方までにむこうへ着かなくてはならねえという大早乗。いま威勢のいい駕籠をさがしているところなンです」
「おお、それはちょうどいい都合だった」
「えッ、ちょうどいい都合とおっしゃると……」
「俺の駕籠があいてるから、これに乗れ」
「じょ、じょ、ご冗談……」
「なにもそう反っくり返って驚くほどのことはあるまい。ここ五日ばかりあぶれつづきで弱っていたところだ。いい折だからお前を乗せてやる」
「どうしまして、そんなもったいねえことが……」
と言いながら、ヒョイとかたわらにおいてある駕籠を見ると、これがひどい。
吉原土手で辻斬にあったやつがお鉄漿溝(はぐろどぶ)の中へころげこんで、そこに三年|三月(みつき)も浸(つか)っていたというようなおんぼろ駕籠。
垂れはケシ飛び凭竹(もたれ)は干割れ、底がぬけかかったのを荒削りの松板を釘でぶっつけてある。この駕籠で七里半の道をゆられて行ったら、まず命がもたない。
ひょろ松は、恐れをなし、
「うわッ、こいつアいけねえ。この駕籠じゃどうも……」
とど助は、花和尚魯智深(かおしょうろちしん)のような大眼玉を剥(む)いて、腕まくりをしながらアコ長のほうへ振りかえり、
「こやつは不とどきな奴ですな。むかしの主人が食の料をうるために乗ってくれとことをわけてたのんでおるのに、素見(ひや)かすというのは怪しからん。こういう不人情なやつは、脛でもたたき折って、否応なしに駕籠の中へドシこんでしまわッせ。拙者もお手つだいするけン」
ひょろ松は、手をあわせて、
「乗ります、乗ります。観念して乗せていただくことにしますから、そんな凄い顔をしないでください」
ひょろ松は、ほうほうの態で駕籠のほうへ近よりながら、
「いや、どうもひどい目にあうもんだ。……では、はなはだ申しわけありませんが、どうかよろしくお願い申します」
と、草鞋の紐をときかけると、アコ長は駕籠の前へ立ちふさがり、
「まア、まア、待ってくれ。乗るのはいいが、今すぐ駈けだすというわけには行かん。実は、昨日からなにも食っていねえので、このままじゃア駕籠を持ちあげることさえ出来やしない。ともかく、二人に飯を食わせてからのことにしてくれ」
「こりゃア驚いた、それもわたしが払うんで」
「まあ、そうだ」
「乗りかかった駕籠だ。もう、観念しまっせ」
二人のうしろに喰いついて、ひょろ松が渋しぶ立場へ入ると、アコ長ととど助は落着いたもので、芋豆腐(いもどうふ)を肴にいっぱい飲(や)りだした。
ひょろ松は、あわてて、
「こりゃア、どうも弱った。そうゆっくり腰をすえられちゃア困ります。なにしろ、あっしは大急ぎなンで……」
とど助は、気にもかけぬふうで、
「まあ、まア、そう急ぐことはない。これから府中までは七里半の道。じゅうぶんに兵糧(ひょうろう)を入れておかんことには早駈けすることが出来ん。兵には糧、駕籠屋には酒。ちゃんと兵法の書にも書いてある。あんたもあわてずドシコと飯でもつめこんでおきまっせ」
銀簪(ぎんかんざし)
ようやく腰をあげたのが、正午(ひる)すぎの八ツごろ。
アコ長もとど助も空っ腹にむやみに飲んだもんだからへべれけのよろよろ。一歩は高く一歩は低くというぐあいに、甲州街道を代田橋から松原のほうへヒョロリヒョロリとやって行く。
駕籠の中のひょろ松は大|時化(しけ)にあった伝馬船のよう。駕籠が揺れるたびに、つんのめったりひっくりかえったり、芋の子でも洗うような七転八倒(しってんばっとう)。
座蒲団なんてえものもなく、荒削りの松板に直(ぢか)に坐っている上にあっちこっちにぶっつけるもんだから頭じゅう瘤(こぶ)だらけ。
ひょろ松は、情ない声で、
「もしもし、お二人さん。なんとかも少しお急ぎくださるわけにはまいりますまいか。このぶんじゃ府中へつくと夜があけてしまいます」
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