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風琴と魚の町 - 林 芙美子 ( はやし ふみこ )

  • ○YT-0316 手風琴 ミニアコーディオン UC 102 赤
  • ★オルガンスツール★風琴専用椅子★明治大正ロマン★洋館
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 1 父は風琴を鳴らすことが上手(じょうず)であった。  音楽に対する私の記憶(きおく)は、この父の風琴から始まる。
 私|達(たち)は長い間、汽車に揺(ゆ)られて退屈(たいくつ)していた、母は、私がバナナを食(は)んでいる傍で経文を誦(ず)しながら、泪(なみだ)していた。「あなたに身を託(たく)したばかりに、私はこの様(よう)に苦労しなければならない」と、あるいはそう話しかけていたのかも知れない。父は、白い風呂敷包(ふろしきづつ)みの中の風琴を、時々|尻(しり)で押(お)しながら、粉ばかりになった刻み煙草(たばこ)を吸っていた。
 私達は、この様な一家を挙げての遠い旅は一再ならずあった。
 父は目蓋(まぶた)をとじて母へ何か優(やさ)し気(げ)に語っていた。「今に見いよ」とでも云(い)っているのであろう。
 蜒々(えんえん)とした汀(なぎさ)を汽車は這(は)っている。動かない海と、屹立(きつりつ)した雲の景色(けしき)は十四|歳(さい)の私の眼(め)に壁(かべ)のように照り輝(かがや)いて写った。その春の海を囲んで、たくさん日の丸の旗をかかげた町があった。目蓋をとじていた父は、朱(あか)い日の丸の旗を見ると、せわしく立ちあがって汽車の窓から首を出した。
「この町は、祭でもあるらしい、降りてみんかやのう」
 母も経文を合財袋(がっさいぶくろ)にしまいながら、立ちあがった。
「ほんとに、綺麗(きれい)な町じゃ、まだ陽(ひ)が高いけに、降りて弁当の代でも稼(かせ)ぎまっせ」
 で、私達三人は、おのおのの荷物を肩(かた)に背負って、日の丸の旗のヒラヒラした海辺の町へ降りた。
 駅の前には、白く芽立った大きな柳(やなぎ)の木があった。柳の木の向うに、煤(すす)で汚(よご)れた旅館が二三|軒(げん)並(なら)んでいた。町の上には大きい綿雲が飛んで、看板に魚の絵が多かった。
 浜(はま)通りを歩いていると、ある一軒の魚の看板の出た家から、ヒュッ、ヒュッ、と口笛(くちぶえ)が流れて来た。父はその口笛を聞くと、背負った風琴思い出したのであろうか、風呂敷包みから風琴を出して肩にかけた。父の風琴は、おそろしく古風で、大きくて、肩に掛(か)けられるべく、皮のベルトがついていた。
「まだ鳴らしなさるな」
 母は、新しい町であったので、恥(はずか)しかったのであろう、ちょっと父の腕(うで)をつかんだ。
 口笛流れて来る家の前まで来ると、鱗(うろこ)まびれになった若い男達が、ヒュッ、ヒュッ、と口笛に合せて魚の骨を叩(たた)いていた。
 看板の魚は、青笹(あおざさ)の葉を鰓(あぎと)にはさんだ鯛(たい)であった。私達は、しばらく、その男達が面白い身ぶりでかまぼこをこさえている手つきに見とれていた。

「あにさん! 日の丸の旗が出ちょるが、何事ばしあるとな」
 骨を叩く手を止めて、眼玉の赤い男がものうげに振(ふ)り向いて口を開けた。
市長さんが来たんじゃ」
「ホウ! たまげたさわぎだな」
 私達はまた歩調をあわせて歩きだした。
 浜には小さい船着場がたくさんあった。河のようにぬめぬめした海の向うには、柔(やわら)かい島があった。島の上には白い花飛ばしたような木がたくさん見えた。その木の下を牛のようなものがのろのろ歩いていた。


 2 ひどく爽(さわ)やかな風景である。
 私は、蓮根(れんこん)の穴の中に辛子(からし)をうんと詰(つ)めて揚(あ)げた天麩羅(てんぷら)を一つ買った。そうして私は、母とその島を見ながら、一つの天麩羅を分けあって食べた。
「はようもどんなはいよ、売れな、売れんでもええとじゃけに……」
 母は仄(ほの)かな侘(わび)しさを感じたのか、私の手を強く握(にぎ)りながら私を引っぱって波止場(はとば)の方へ歩いて行った。
 肋骨(ろっこつ)のように、胸に黄色い筋のついた憲兵の服を着た父が、風琴を鳴らしながら「オイチニイ、オイチニイ」と坂になった町の方へ上って行った。母は父の鳴らす風琴の音を聞くとうつむいてシュンと鼻をかんだ。私は呆(ぼ)んやり油のついた掌(てのひら)を嘗(な)めていた。
「どら、鼻をこっちい、やってみい」
 母は衿(えり)にかけていた手拭(てぬぐい)を小指の先きに巻いて、私の鼻の穴につっこんだ。
「ほら、こぎゃん、黒うなっとるが」
 母の、手拭を巻いた小指の先きが、椎茸(しいたけ)のように黒くなった。
 町の上には小学校があった。小麦|臭(くさ)い風が流れていた。
「こりゃ、まあ、景色のよかとこじゃ」
 手拭ハタハタと髷(まげ)の上の薄(うす)い埃(ほこり)を払(はら)いながら、眼を細めて、母は海を見た。
 私は蓮根天麩羅を食うてしまって、雁木(がんぎ)の上の露店(ろてん)で、プチプチ章魚(たこ)の足を揚げている、揚物屋の婆(ばあ)さんの手元を見ていた。
「いやしかのう、この子は……腹がばりさけても知らんぞ」
章魚の足が食いたかなア」
「何云いなはると! お父(とう)さんやおッ母(か)さんが、こぎゃん貧乏(びんぼう)しよるとが判(わか)らんとな!」
 遠いところで、父の風琴が風に吹(ふ)かれている。
汽車へ乗ったら、またよかもの食わしてやるけに……」
「いんにゃ、章魚が食いたか!」
「さっち、そぎゃん、困らせよっとか?」
 母は房(ふさ)のついた縞(しま)の財布(さいふ)を出して私の鼻の上で振って見せた。
「ほら、これでも得心のいかぬか!」
 薄い母の掌に、緑の粉(こ)を吹いた大きい弐(に)銭銅貨が二三枚こぼれた。
「白か銭(ぜに)は無かろうが? 白かとがないと、章魚の足は買えんとぞ」
「あかか銭じゃ買えんとな?」
「この子は! さっち、あげんこツウ、お父さんや、おッ母さんが食えんでも、めんめが腹ばい肥やしたかなア」
「食いたかもの、仕様がなかじゃなっか!」
 母はピシッと私のビンタを打った。学校帰りの子供達が、渡(わた)し船を待っていた。私が殴(なぐ)られるのを見ると、子供達はドッと笑った。鼻血が咽(のど)へ流れて来た。


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