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- 宮本 百合子 ( みやもと ゆりこ )

  • 宮本百合子選集第一巻・小説集 ☆宮本百合子
  • 【本】 宮本百合子研究・宮本百合子批評 関係書 6冊 N21078
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  • 現代日本文学全集35 宮本百合子集 筑摩書房
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 硝子戸もない廊下では、朝夕の風がひどく身にしみるようになった。二間半と、鍵の手に曲って一間の縁側東南に面して居るのだが、午後になると、手洗鉢を中心とした三尺ばかりの処にしか、暖い日光は耀らない。三時前から、ひえびえとした冷たさが、滑らかな板の面を流れる。夏じゅう、六|番(つがい)ほどの小鳥を入れた籠は、その曲った方の板敷に置かれて居た。夫の書斎から差すほのかな灯かげの闇で、夜おそく、かさかさと巣の中で身じろぐ音などが聞える。
 ところが四五日前、一羽の紅雀が急に死んで仕舞った。朝まで元気で羽並さえ何ともなかったのに、暮方水を代えてやろうとして見ると、思いもかけない雄の鮮やかな紅葉色の小さい体が、淋しく止木の下に落ちて居たのである。
 艷やかな羽毛紅色は褪せず、嘴さえルビーを刻んだようなので、内部故障とは思い難い。丁度前の晩が霜でも下りそうに冷えたので、きっとその寒さに当たったのだろうと、夫は云う。
 彼は、他のものまで凍えさせては大変だと云う風で、一も二もなく火の気のある室内に籠を引入れた。籠は彼の手造りである。無骨な、それでも優しい暢やかな円天井を持った籠の中で、小鳥等は崩れる薔薇の響をきき乍ら、暖かい夢を結ぶようになった。
 顔を洗いに行こうとして、何時ものように籠傍を通ると、今朝はどうしたのか、ひどく粟が乱雑になって居るのに心付いた。籠の中に散って居るばかりか、一尺も間のある床の間まで、黄色い穀粒は飛んで居る。其にも無頓着で、彼等は、清らかな朝日を浴びて、枝から枝へと遊んで居る。いずれ行儀のわるい「じゅうしまつ」が、例の通り体ごと餌壺に入って、ちっ、ちっと、首を振り振り撒きちらしたのだろう。私はそのまま忘れて仕舞った。
 やがて昼近くなり、まつが食事のことで物を尋ねに来た。そのきっかけに私は机の前を立って、縁側に出た。直射する光線を嫌う私の机は、北向の小部屋の隅にある。何処となく薄ら時雨れた日、流石自分もぬくぬくとした日向のにおいが恋しく感じられたのである。来年の花の用意に、怠りなく小さい芽を育てて居る蘭の鉢などを眺めながら、何心なく柱に倚って居ると、頻りに鳥籠が騒々しい。
 障子が一枚無人の裡に開け放されて居たのを思い出し、或は猫でもかかったのではないかと心付いた。私は立って行って、上から細かい網目の中を覗いた。そして、意外にも、餌壺に一粒の粟さえないのを発見した。
 いつも、さくさくとした細やかな実が、八分目以上も盛られたのばかりを見馴れた自分の眼に、六寸程の直径を持った瀬戸物白い底が、異様に冷たく空虚に見えた。微かなショックに似たものをさえ、私は胸の辺に覚えた。
 今朝目を牽いた床の間の粟の理由も自ら明かになった。餌壺は、恐らく昨晩のうち、僅かの選屑と、なかみを割って食べた殼ばかりになって居たのだろう。二時迄机に向って居なければならなかった私共に、其を知る余裕はなかった。
 気の毒な小鳥等は、日の出とともに眼を醒し、兎に角嘴に割れるほどの実は食べつくし、猶漁って羽叩くので、軽い粟の殼は、頼りなくぱっと飛んで床の間落ちたのであったろう。
 始めて私が見た時から、彼等はきっと、いつ餌壺が満されるのかと、情けなく眺め、囀って居たに違いない。不意に赤い小鳥の屍を見た時より、私は相すまない心持に打たれた。
 私は急いで粟の箱をさがした。そして、落し戸をあげ、餌壺を出して、塵を吹き吹き、二つの掌から粟を満した。次手に水も代えた。余程空腹であったのだろう。手を入れた時、さっと上の止り木に舞い上った鳥等は一枝、一枝と降り、私の指先がまだ皆は籠から出ないうちに、もう群れ集って食べ始めた。ツーともチチとも云わない。まことに飢えたものの真剣さを、小さい頭、柔かい背に遺憾なく顕わして、せっせと、只管(ひたすら)に粟の実を割るのである。
 微かながら絶間のないピチ、ピチ、と云う音をきき乍ら、私は、寂しい、憂わしい心持に襲われた。小鳥を飼う等と云う長閑(のどか)そうなことが、案外不自然な、一方のみの専横を許して居るのではなかろうか。
 此等の愛らしい無邪気な鳥どもが、若し私達が餌を忘れれば飢えて死ななければならない運命に置かれて居ると知るのは、いい心持でなかった。
 飼われて居ない野の小鳥は、自然威圧にも会うだろうが、誰かに餌を忘られて、為に命を終らなければならないと云う憐れさは持って居ない。
 私は眼をあげて、隣家の屋根斜面に、ころころとふくれて日向ぼっこをして居る六七羽の雀の姿を見た。或ものは、何もあろうと思われない瓦の上を、地味な嘴でつついて居る。
 暫く眺めて後、私は、箱に手を入れて一掴みの粟を、勢よく、庭先に撒いた。人間より遙かに敏い瞳と、本能を持った彼等が、幾何、一面の苔の間に落ちたとは云え、自分等の好む、餌の馳走を心付かぬことはあるまい。
 真先に屋根から降りる先達は、どの雀がつとめるだろう。
 庭へついと、遠い遠い彼方の空の高みから、一羽の小鳥が飛んで来た。


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