高原 関連リンク

寺田 寅彦 のオススメ作品

作家別索引

作品別索引

高原 - 寺田 寅彦 ( てらだ とらひこ )

  • 乗鞍高原 北アルプス 2005 昭文社■山と高原地図 1/5万■送料\80
  • 山と高原地図61 大山・蒜山高原
  • ■切手■美品【妙義荒船佐久高原国定高原】②
  • 《 高原敏 》 備前ぐい呑 共箱共布栞 検金重陶陽賞高原卓史酒器
  • 山と高原地図1999年版・乗鞍高原・北アルプス・鉢盛山・野麦峠
  • [公売]さわやかな高原の避暑地・蓼科高原桜ケ丘別荘地(建物...
  • [公売]さわやかな高原の避暑地・蓼科高原桜ケ丘別荘地(建物...
  • 送料無料 競輪 高原永伍、「逃げ」て生きた 最相葉月 徳間書店
  • 【那須郡】土地132坪 標高・約600mの高原の別荘地
  • 7/14(水)1円~コルテラルゴ伊豆高原アイランドスイート2食付
次のページ
 七月十七日上野発の「列車」で沓掛(くつかけ)に行った。今年で三年目である。駅へ子供達が迎いに来ていた。プラットフォーム下り立ったときに何となく去年とはあたりの勝手違うような気がしたがどこがどうちがったかということがすぐとは気が付かなかった。子供注意されて気がついて見るとなるほどプラットフォーム屋根新築されて去年から見るとよほど停車場らしくなっている。全く予期しないものは眼に写っても心には写らないのである。
 一昨年初めて来たとき、軽井沢駅のあの何となく物々しい気分に引きかえてこの沓掛駅の野天|吹曝(ふきさら)しのプラットフォームの謙虚で安易な気持がひどく嬉しかったことを思い出した。
 H温泉|池畔(ちはん)の例年の家に落着いた。去年この家にいた家鴨(あひる)十数羽が今年はたった雄一羽と雌三羽とだけに減っている。二、三日前までは現在の外にもう二、三羽居たのだがある日おとずれて来たある団体客の接待に連れ去られたそうである。生き残った家鴨どもはわれわれには実によく馴(な)ついて、ベランダ階段の一番上まで上がって来てパン屑をねだる。そうして人を頼る気持は犬や猫と同じであるような気がするが、しかしどうしても体躯(からだ)には触(さわ)らせまいとして手を出すと逃げる。それだけは「教育」で抜け切れない「野性」の名残(なごり)であろう。尤も、よく馴れたわれわれの手を遁(に)げる遁げ方と時々屋前を通る職人旅客などを逃避する逃げ方とではまるでにげ方が違う。前の場合だとちょっと手の届かぬ処へにげるだけだのに、後の場合だと狼狽の表情を明示していきなり池の中へころがり込むようである。とにかくこんなになつかれては可愛くてとても喰う気にはなれない。
 今年は研究所で買ったばかりの双眼顕微鏡を提(さ)げて来て少しばかり植物昆虫世界へ這入り込んで見物することにした。着くとすぐ手近なベランダ檜葉(ひば)を摘んで二十倍で覗いてみた。まるで翡翠(ひすい)か青玉で彫刻した連珠形の玉鉾(たまほこ)とでも云ったような実に美しい天工の妙に驚嘆した。たった二十倍の尺度の相違で何十年来毎日見馴れた世界がこんなにも変った別世界に見えるのである。ワンダーランドのアリスの冒険一場面を想い出した。顕微鏡下の世界の驚異にはしかし御伽噺(おとぎばなし)作者などの思いも付かなかったものがあるらしい。
 シモツケの繖形花(さんけいか)も肉眼で見たところでは、あの一つ一つの花冠はさっぱりつまらないものであるが、二十倍にして見るとこれも驚くべき立派な花である。桃色珊瑚(さんご)ででも彫刻したようで、しかもそれよりももっと潤沢と生気のある多肉性の花弁、その中に王冠の形をした環状の台座のようなものがあり、周囲には純白で波形に屈曲した雄蕊(おしべ)が乱立している。およそ最も高貴な蘭科植物の花などよりも更に遥かに高貴な相貌風格を具備した花である。
 スカンボの花などもさっぱり見所のないもののように思っていたが、顕微鏡で見るとこれも実に堂々たる傑作品である。植物図鑑によると雄花雌花と別になっているそうであるが、自分の見た中にはどうも雄蕊雌蕊(おしべめしべ)を兼備しているらしいものも見えた。
 カワラマツバの小さな四弁花は弁と弁との間から出た雄蕊がみんな下へ垂れ下がって花心から逃げ出しそうにしている。ウツボグサの紫花の四本の雄蕊は尖端が二(ふ)た叉(また)になっていて、その一方の叉には葯(やく)があるのに他の一方はそれがなくて尖(とが)ったままで反り曲っている。こうした造化の設計には浅墓(あさはか)なわれわれには想像もつかないような色々意図があるかもしれないという気がする。
 以上のような花に比べると例えばホタルブクロのような大きな花は却って二十倍くらいに廓大(かくだい)して見てもそれ程びっくりするような意外な発見はないようであった。しかしもっと色々見ていたらまた珍しい見物に出っくわさないとも限らないであろう。
 ある花はこんなに細小でまたある花は途方もなく大きい。これも不思議である。細かい花は通例沢山に簇出(そうしゅつ)しているような気がする。これも不思議である。そうして多くの草の全体重と花だけの総体重との比率にはおおよそ最高最低限度がありそうな気がしてこれも何かわれわれのまだ知らない科学的な方則で規定されているのではないかという気がするのである。
 七月九日には上田の町を見物に行った。折からこの地の祇園祭(ぎおんまつり)で樽神輿(たるみこし)を舁(かつ)いだ子供や大供の群が目抜きの通りを練っていた。万燈(まんどう)を持った子供の列の次に七夕竹(たなばただけ)のようなものを押し立てた女児の群がつづいて、その後からまた肩衣(かたぎぬ)を着た大人が続くという行列もあった。東京でワッショイ/\/\というところを、ここではワイショー/\と云うのも珍しかった。この方がのんびりして野趣がある。
 市役所の庭に市民が群集している。その包囲の真中から何かしら合唱の声が聞こえる。かつて聞いた事のない唱歌のような読経(どきょう)のような、ゆるやかな旋律(リズム)が聞こえているが何をしているか外からは見えない。一段高い台の上で映画撮影をやっているのが見える。そこを通り抜けて停車場の方へと裏町を歩いていると家々からラジオが聞こえ、それが今聞いた市役所の庭の合唱そのままである。上田から長野電線で送られた唱歌長野局から電波放送され、それがエーテルを伝わってもとの上田の発源地へ帰って来ているのである。何でもない当り前の事であるが、ちょっと変な気のするものである。
 あとで新聞を見たら、この地で七十年ぶりという珍しい獅子舞が演ぜられていたのである。


次のページ

寺田 寅彦 (てらだ とらひこ) 以外のオススメ作品

高原 (こうげん) のリンク元

「高原-寺田 寅彦」の関連ページ


関連ページ
Web Services by Yahoo! JAPAN