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高野聖 - 泉 鏡花 ( いずみ きょうか )

  • ■□ 泉鏡花 著 「歌行燈・高野聖」(新潮文庫)
  • 新潮文庫437泉鏡花『歌行燈・高野聖』平成10
  • 泉鏡花【高野聖.眉かくしの霊】岩波文庫■吉田精一■唯美ロマン
  • 岩波文庫 泉鏡花 「高野聖・眉かくしの靈」昭和S49・32刷
  • 名著復刻全集 近代文学館◆「高野聖」 泉鏡花
  • 高野聖・眉かくしの霊/泉鏡花/岩波文庫
  • 即決★ 朗読CD 泉鏡花~高野聖 朗読・佐藤慶 2枚組
  • 岩波文庫 高野聖 眉かくしの霊 泉鏡花作 初版
  • 岩波文庫【高野聖・眉かくしの霊】泉鏡花(プチソフト1)
  • ☆□泉鏡花 高野聖・外科室・夜行巡査 ・眉かくしの霊 ☆★◎
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     一 「参謀(さんぼう)本部|編纂(へんさん)の地図をまた繰開(くりひら)いて見るでもなかろう、と思ったけれども、余りの道じゃから、手を触(さわ)るさえ暑くるしい、旅の法衣(ころも)の袖(そで)をかかげて、表紙を附(つ)けた折本になってるのを引張(ひっぱ)り出した。  飛騨(ひだ)から信州へ越(こ)える深山(みやま)の間道で、ちょうど立休らおうという一本の樹立(こだち)も無い、右も左も山ばかりじゃ、手を伸(の)ばすと達(とど)きそうな峰(みね)があると、その峰へ峰が乗り、巓(いただき)が被(かぶ)さって、飛ぶ鳥も見えず、雲の形も見えぬ。
 道と空との間にただ一人我ばかり、およそ正午(しょうご)と覚しい極熱(ごくねつ)の太陽の色も白いほどに冴(さ)え返った光線を、深々と戴(いただ)いた一重(ひとえ)の檜笠(ひのきがさ)に凌(しの)いで、こう図面を見た。」
 旅僧(たびそう)はそういって、握拳(にぎりこぶし)を両方|枕(まくら)に乗せ、それで額を支えながら俯向(うつむ)いた。
 道連(みちづれ)になった上人(しょうにん)は、名古屋からこの越前敦賀(えちぜんつるが)の旅籠屋(はたごや)に来て、今しがた枕に就いた時まで、私(わたし)が知ってる限り余り仰向(あおむ)けになったことのない、つまり傲然(ごうぜん)として物を見ない質(たち)の人物である。
 一体東海道掛川(かけがわ)の宿(しゅく)から同じ汽車に乗り組んだと覚えている、腰掛(こしかけ)の隅(すみ)に頭(こうべ)を垂れて、死灰(しかい)のごとく控(ひか)えたから別段目にも留まらなかった。
 尾張(おわり)の停車場(ステイション)で他(ほか)の乗組員は言合(いいあわ)せたように、残らず下りたので、函(はこ)の中にはただ上人と私と二人になった。
 この汽車新橋を昨夜九時半に発(た)って、今夕(こんせき)敦賀に入ろうという、名古屋では正午(ひる)だったから、飯に一折の鮨(すし)を買った。旅僧も私と同じくその鮨を求めたのであるが、蓋(ふた)を開けると、ばらばらと海苔(のり)が懸(かか)った、五目飯(ちらし)の下等なので。
(やあ、人参(にんじん)と干瓢(かんぴょう)ばかりだ。)と粗忽(そそ)ッかしく絶叫(ぜっきょう)した。私の顔を見て旅僧は耐(こら)え兼ねたものと見える、くっくっと笑い出した、もとより二人ばかりなり、知己(ちかづき)にはそれからなったのだが、聞けばこれから越前へ行って、派は違(ちが)うが永平寺(えいへいじ)に訪ねるものがある、但(ただ)し敦賀に一|泊(ぱく)とのこと。
 若狭(わかさ)へ帰省する私もおなじ処(ところ)で泊(とま)らねばならないのであるから、そこで同行の約束(やくそく)が出来た。
 かれは高野山(こうやさん)に籍(せき)を置くものだといった、年配四十五六、柔和(にゅうわ)ななんらの奇(き)も見えぬ、懐(なつか)しい、おとなしやかな風采(とりなり)で、羅紗(らしゃ)の角袖(かくそで)の外套(がいとう)を着て、白のふらんねるの襟巻(えりまき)をしめ、土耳古形(トルコがた)の帽(ぼう)を冠(かぶ)り、毛糸手袋(てぶくろ)を嵌(は)め、白足袋(しろたび)に日和下駄(ひよりげた)で、一見僧侶(そうりょ)よりは世の中の宗匠(そうしょう)というものに、それよりもむしろ俗か。
(お泊りはどちらじゃな、)といって聞かれたから、私は一人旅の旅宿のつまらなさを、しみじみ歎息(たんそく)した、第一|盆(ぼん)を持って女中が坐睡(いねむり)をする、番頭が空世辞(そらせじ)をいう、廊下(ろうか)を歩行(ある)くとじろじろ目をつける、何より最も耐(た)え難(がた)いのは晩飯の支度(したく)が済むと、たちまち灯(あかり)を行燈(あんどん)に換(か)えて、薄暗(うすぐら)い処でお休みなさいと命令されるが、私は夜が更(ふ)けるまで寐(ね)ることが出来ないから、その間の心持といったらない、殊(こと)にこの頃(ごろ)は夜は長し、東京を出る時から一晩の泊(とまり)が気になってならないくらい、差支(さしつか)えがなくば御僧(おんそう)とご一所(いっしょ)に。
 快く頷(うなず)いて、北陸地方行脚(あんぎゃ)の節はいつでも杖(つえ)を休め香取屋(かとりや)というのがある、旧(もと)は一|軒(けん)の旅店(りょてん)であったが、一人女(ひとりむすめ)の評判なのがなくなってからは看板を外(はず)した、けれども昔(むかし)から懇意(こんい)な者は断らず泊めて、老人(としより)夫婦が内端(うちわ)に世話をしてくれる、宜(よろ)しくばそれへ、その代(かわり)といいかけて、折を下に置いて、
(ご馳走(ちそう)は人参干瓢ばかりじゃ。)
 とからからと笑った、慎(つつし)み深そうな打見(うちみ)よりは気の軽い。

     二

 岐阜(ぎふ)ではまだ蒼空(あおぞら)が見えたけれども、後は名にし負う北国空、米原(まいばら)、長浜(ながはま)は薄曇(うすぐもり)、幽(かすか)に日が射(さ)して、寒さが身に染みると思ったが、柳(やな)ヶ|瀬(せ)では雨、汽車の窓が暗くなるに従うて、白いものがちらちら交(まじ)って来た。
(雪ですよ。)
(さようじゃな。)といったばかりで別に気に留めず、仰(あお)いで空を見ようともしない、この時に限らず、賤(しず)ヶ|岳(たけ)が、といって、古戦場を指した時も、琵琶湖(びわこ)の風景を語った時も、旅僧はただ頷いたばかりである。
 敦賀で悚毛(おぞけ)の立つほど煩(わずら)わしいのは宿引(やどひき)の悪弊(あくへい)で、その日も期したるごとく、汽車を下(おり)ると停車場(ステイション)の出口から町端(まちはな)へかけて招きの提灯(ちょうちん)、印傘(しるしがさ)の堤(つつみ)を築き、潜抜(くぐりぬ)ける隙(すき)もあらなく旅人を取囲んで、手(て)ン手(で)に喧(かまびす)しく己(おの)が家号(やごう)を呼立(よびた)てる、中にも烈(はげ)しいのは、素早(すばや)く手荷物を引手繰(ひったく)って、へい難有(ありがと)う様(さま)で、を喰(くら)わす、頭痛持は血が上るほど耐(こら)え切れないのが、例の下を向いて悠々(ゆうゆう)と小取廻(ことりまわ)しに通抜(とおりぬ)ける旅僧は、誰(たれ)も袖を曳(ひ)かなかったから、幸いその後に跟(つ)いて町へ入って、ほっという息を吐(つ)いた。
 雪は小止(おやみ)なく、今は雨も交らず乾いた軽いのがさらさらと面(おもて)を打ち、宵(よい)ながら門(かど)を鎖(とざ)した敦賀の通(とおり)はひっそりして一条二条|縦横(たてよこ)に、辻(つじ)の角は広々と、白く積った中を、道の程(ほど)八町ばかりで、とある軒下(のきした)に辿(たど)り着いたのが名指(なざし)の香取屋。
 床(とこ)にも座敷(ざしき)にも飾(かざ)りといっては無いが、柱立(はしらだち)の見事な、畳(たたみ)の堅(かた)い、炉(ろ)の大いなる、自在鍵(じざいかぎ)の鯉(こい)は鱗(うろこ)が黄金造(こがねづくり)であるかと思わるる艶(つや)を持った、素(す)ばらしい竈(へッつい)を二ツ並(なら)べて一斗飯(いっとめし)は焚(た)けそうな目覚(めざま)しい釜(かま)の懸(かか)った古家(ふるいえ)で。
 亭主は法然天窓(ほうねんあたま)、木綿筒袖(つつそで)の中へ両手の先を竦(すく)まして、火鉢(ひばち)の前でも手を出さぬ、ぬうとした親仁(おやじ)、女房(にょうぼう)の方は愛嬌(あいきょう)のある、ちょっと世辞のいい婆(ばあ)さん、件(くだん)の人参干瓢の話を旅僧が打出すと、にこにこ笑いながら、縮緬雑魚(ちりめんざこ)と、鰈(かれい)の干物(ひもの)と、とろろ昆布(こんぶ)の味噌汁(みそしる)とで膳(ぜん)を出した、物の言振(いいぶり)取成(とりなし)なんど、いかにも、上人(しょうにん)とは別懇(べっこん)の間と見えて、連(つれ)の私の居心(いごころ)のいいといったらない。
 やがて二階に寝床(ねどこ)を拵(こしら)えてくれた、天井(てんじょう)は低いが、梁(うつばり)は丸太で二抱(ふたかかえ)もあろう、屋の棟(むね)から斜(ななめ)に渡(わた)って座敷の果(はて)の廂(ひさし)の処では天窓(あたま)に支(つか)えそうになっている、巌乗(がんじょう)な屋造(やづくり)、これなら裏の山から雪崩(なだれ)が来てもびくともせぬ。
 特に炬燵(こたつ)が出来ていたから私はそのまま嬉(うれ)しく入った。寝床はもう一組おなじ炬燵に敷(し)いてあったが、旅僧はこれには来(きた)らず、横に枕を並べて、火の気のない臥床(ねどこ)に寝た。
 寝る時、上人は帯を解かぬ、もちろん衣服も脱(ぬ)がぬ、着たまま円(まる)くなって俯向形(うつむきなり)に腰からすっぽりと入って、肩(かた)に夜具(やぐ)の袖(そで)を掛(か)けると手を突(つ)いて畏(かしこま)った、その様子(ようす)は我々と反対で、顔に枕をするのである。
 ほどなく寂然(ひっそり)として寐(ね)に就きそうだから、汽車の中でもくれぐれいったのはここのこと、私は夜が更けるまで寐ることが出来ない、あわれと思ってもうしばらくつきあって、そして諸国行脚なすった内のおもしろい談(はなし)をといって打解(うちと)けて幼(おさな)らしくねだった。
 すると上人は頷いて、私(わし)は中年から仰向けに枕に就かぬのが癖(くせ)で、寝るにもこのままではあるけれども目はまだなかなか冴えている、急に寐就かれないのはお前様とおんなじであろう。出家(しゅっけ)のいうことでも、教(おしえ)だの、戒(いましめ)だの、説法とばかりは限らぬ、若いの、聞かっしゃい、と言って語り出した。後で聞くと宗門名誉(しゅうもんめいよ)の説教師で、六明寺(りくみんじ)の宗朝(しゅうちょう)という大和尚(だいおしょう)であったそうな。

     三

「今にもう一人ここへ来て寝るそうじゃが、お前様と同国じゃの、若狭の者で塗物(ぬりもの)の旅商人(たびあきんど)。いやこの男なぞは若いが感心に実体(じってい)な好(よ)い男。
 私(わたし)が今話の序開(じょびらき)をしたその飛騨の山越(やまごえ)をやった時の、麓(ふもと)の茶屋で一緒(いっしょ)になった富山(とやま)の売薬という奴(やつ)あ、けたいの悪い、ねじねじした厭(いや)な壮佼(わかいもの)で。
 まずこれから峠(とうげ)に掛(かか)ろうという日の、朝早く、もっとも先(せん)の泊(とまり)はものの三時ぐらいには発(た)って来たので、涼しい内に六里ばかり、その茶屋までのしたのじゃが朝晴でじりじり暑いわ。
 慾張(よくばり)抜いて大急ぎで歩いたから咽(のど)が渇(かわ)いてしようがあるまい、早速(さっそく)茶を飲もうと思うたが、まだ湯が沸(わ)いておらぬという。
 どうしてその時分じゃからというて、めったに人通(ひとどおり)のない山道、朝顔の咲(さ)いてる内に煙が立つ道理もなし。
 床几(しょうぎ)の前には冷たそうな小流(こながれ)があったから手桶(ておけ)の水を汲(く)もうとしてちょいと気がついた。
 それというのが、時節柄(じせつがら)暑さのため、恐(おそろ)しい悪い病が流行(はや)って、先に通った辻などという村は、から一面に石灰(いしばい)だらけじゃあるまいか。
(もし、姉(ねえ)さん。)といって茶店の女に、
(この水はこりゃ井戸(いど)のでござりますか。)と、きまりも悪し、もじもじ聞くとの。
(いんね、川のでございます。)という、はて面妖(めんよう)なと思った。
(山したの方には大分流行病(はやりやまい)がございますが、この水は何(なに)から、辻の方から流れて来るのではありませんか。)
(そうでねえ。)と女は何気(なにげ)なく答えた、まず嬉(うれ)しやと思うと、お聞きなさいよ。
 ここに居て、さっきから休んでござったのが、右の売薬じゃ。


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