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髯籠の話 - 折口 信夫 ( おりくち しのぶ )

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  • 死者の書,春のことぶれ 他「折口信夫集」日本近代文学大系46
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  • 「折口信夫全集 第一五巻 民俗学篇1」中央公論社 昭和30
  • 「折口信夫全集 第一巻古代研究(國文学篇)」中央公論社 昭和29
  • ◆:折口信夫全集 第14巻 國文學篇8 中公文庫 初版
  • ◆:折口信夫全集 第12巻 國文學篇6 中公文庫 初版
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     一 十三四年前、友人等と葛城山の方への旅行した時、牛滝から犬鳴山尾根伝ひの路に迷うて、紀州西河原と言ふ山村下りて了ひ、はからずも一夜の宿を取つたことがある。其翌朝早く其処を立つて、一里ばかり田中の道を下りに、粉河寺の裏門に辿り着き、御堂を拝し畢つて表門を出ると、まづ目に着いたものがある。其日はちようど、祭りのごえん(後宴か御縁か)と言うて、まだ戸を閉ぢた家の多い町に、曳き捨てられただんじりの車の上に、大きな髯籠(ヒゲコ)が仰向けに据ゑられてある。長い髯の車にあまり地上に靡いてゐるのを、此は何かと道行く人に聞けば、祭りだんじりの竿の尖きに附ける飾りと言ふ事であつた。最早十余年を過ぎ記憶も漸く薄らがんとしてゐた処へ、いつぞや南方氏が書かれた目籠の話を拝見して、再此が目の前にちらつき出した。尾芝氏の柱松考(郷土研究三の一)もどうやら此に関聯した題目であるらしい。因つて、自分の此に就ての考へを、少し纏めて批判を願ひたいと思ふ。
髯籠(ヒゲコ)の由来を説くに当つて、まづ考へるのは、標山(シメヤマ)の事である。避雷針のなかつた時代には、何時何処に雷神が降るか判らなかつたと同じく、所謂|天降(アモ)り着く神々に、自由自在土地を占められては、如何に用心に用心を重ねても、何時神の標(シ)めた山を犯して祟り受けるか知れない。其故になるべくは、神々の天降(アモ)りに先だち、人里との交渉の尠い比較的狭少な地域で、さまで迷惑にならぬ土地を、神の標山と此方で勝手極めて迎へ奉るのを、最完全な手段と昔の人は考へたらしい。即、標山は、恐怖信仰との永い生活の後に、やつと案出した無邪気にして、而も敬虔なる避雷針であつたのである。勿論神様の方でも、さう/\人間の思ふまゝになつて居られては威厳にも係ること故、中には天(アメ)探女(サグメ)の類で、標山以外の地へ推して出られる神もあつたらうが、大体に於ては、まづ人民希望に合し、彼らが用意した場所に於て、祭りを享けられたことであらう。

ちはやぶる神の社しなかりせば、春日(カスガ)の野辺に粟蒔かましを(万葉巻三)

と歌うた万葉集の歌の如きは、此標山を迷惑がつた時代の人の心持ちを、よく現してゐると思ふ。
さて、右の如く人民の迷惑も大ならず、且神慮にも協(かな)ひさうな地が見たてられて後、第一に起るべき問題は、何を以て神案内目標とするかと言ふことである。後世には、人作りの柱・旗竿なども発明せられたが、最初はやはり、標山中の最神の眼に触れさうな処、つまりどこか最天に近い処と言ふ事になつて、高山喬木などに十目は集つたことゝ思ふ。此の如くして、松なり杉なり真木(マキ)なり、神々の依りますべき木が定つた上で、更に第二の問題が起る。即、其木が一本松一本杉と言ふ様に注意を惹き易い場合はとにかく、さもないと折角標山を定めた為に、雷避けが雷招きになつて、思はぬ辺りに神の降臨を見ることになると困るから、茲に神にとつてはよりしろ、人間から言へばをぎしろの必要は起るのである。
元来空漠散漫なる一面を有する神霊を、一所に集注せしめるのであるから、適当な招代(ヲギシロ)が無くては、神々の憑り給はぬはもとよりである。此理は、極々の下座の神でも同じことで、賀茂保憲が幼時に式神(シキガミ)が馬牛の偶像を得て依り来るを見たと言ふ話、更に人間精霊でも瓜・茄子の背に乗つて、始めて一時の落着き場所を見出すと言ふなども、同じ思想に外ならぬ。神殿の鏡や仏壇の像、さては位牌写真の末々に到るまで、成程人間の方の都合で設けた物には相違ないが、此が深い趣旨は、右の依代(ヨリシロ)の思想に在るのである。かの天の窟戸開きに糠戸神の苦心になつた八咫鏡を立てたといふのも、考へやうによつては不思議な話で、此を説明して語部の或者が、此様な、あなたよりも立派神様がおいでになりますから、あなたを煩はさずともよろしいと、皇神(スメガミ)の反抗心を挑発する為に、御影を映す鏡を立てた様に言ふのも、必しも不自然解釈とは言はれぬ。此も神器の絶対の尊厳を会得せしめん為に、皇神其自ら或は其以上との信仰を持たせようとしたものであらうと思ふ。

     二

一昨年熊野巡りをした節、南牟婁郡神崎茶屋などの村の人の話を聞いたのに、お浅間(センゲン)様・天王様・夷様など、何れも高い峯の松の頂に降られると言ふことで、其梢にきりかけ(御幣)を垂(シ)でゝ祭るとの話であつた。神の標山には必神の依るべき喬木があつて、而も其喬木には更に或よりしろのあるのが必須の条件であるらしい。併しながら依代(ヨリシロ)は、何物でも唯神の眼を惹くものでさへあればよろしいといふわけには参るまい。人間場合でも、髪・爪・衣服等、何かその肉体関係ある物をまづ択び、已むを得ざれば其名を呼んだわけで、さてこそ、呪咀にも、魂喚(タマヨバ)ひにも、此等のものが専ら用ゐられたのである。尤、素朴単純な信仰状態では、神の名を喚んだゞけで、其属性の或部分を人間左右し得たので、神は即惹かれ依るものと信ぜられたのである。念仏宗などは、或点から見れば、実に羨ましい程、原始的な意義を貽してゐる。
今少し進んだ場合では、神々の姿を偶像作り、此を招代(ヲギシロ)とする様になつた。今日の如き、写生万能の時代から遠い古代人の生活に於ては、勿論今少し直観象徴風の肖像でも満足が出来た。仏教では、宇宙に遍満し給ふ盧遮那仏(ルシヤナブツ)をさへ具象せしめてゐるが、我古代人には、神も略人間と同じ様子を具へたまふものとの考へはあつたらうが、さて此を具象化する段には、譬へば十三臂ありとか、猪に乗るとか、火焔を負ふとか言ふ、一定の約束がない為に、却つて種々の疑問を起し易い所から、寧描写を避け、象徴に進んだ事と思ふ。だから仏像輸入に刺戟せられ、思ひ切つて具象化した神像の中には、今日何神やら判然せぬものが多い。蓋し我古代生活に於て、最偉大なる信仰の対象は、やはり太陽神であつた。語部の物語には、種々な神々の種々な職掌の分化を伝へてゐるが、純乎たる太陽神崇拝の時代から、職掌分化時代に至る迄には、或過程を頭に入れて考へねばなるまいと思ふ。勿論原始的な太陽神崇拝の時代でも、他の神々の信仰は無かつたと言ふのではない。唯、今少しく非分業的であつたと思ふのである。併し此赫奕たる太陽神も、単に大空に懸りいますとばかりでは、古代人の生活とは、霊的に交渉が乏しくなりやすい。故にまづ其象徴として神を作る必要が生じて来る。茲に自分は、太陽神の形代(カタシロ)製作に費された我祖先の苦心を語るべき機会に出遭つた。
まづ形代に就て、かねて考へてゐた所を言へば、一体人間の形代たる撫物(ナデモノ)は、すぐさま川なり、辻なりに棄つべき筈なるに、保存して置いて魔除(マヨ)け・厄除(ヤクヨ)けに用ゐるといふのは、一円合点の行かぬ話であるが、此には一朝一夕ならぬ思想流転の痕が認められるのである。神の形代に降魔の力あるは勿論であるが、転じては人の形代にも此神通力を附与するに至つた。其仔細を理解するには、形代に移されたる人の穢れ即悪分子は、八十禍津日(ヤソマガツヒ)・大禍津日(オホマガツヒ)化生の形代をさながらに、御霊的威力を振うて、災禍を喰ひ留めてくれると言ふ外に、尚古代人が実在の親しむべきを知ると共に、実在を超越する程度の高いものほど、怖しさの程度が加はると感じた根本観念を推測して見ねばならぬ。
実在する間は、人間の意のまゝに活殺し得べき動物が、一歩実在性を失ふや、忽ち盛んに人間を悩まし、或は未然を察知し、或は禍福を与奪する。又我々の属性の部分々々でも、抽象的なものほど恐怖の念を唆る傾向のあつたもので、分裂などゝ言へば事々しいが、我身よりあくがれ出づる魂の不随意的な行動を、自ら恐れることすらあつた。かの六条御息所(ミヤスドコロ)の恐怖などは、啻に道徳上の責任を思つた為のみではなかつたので、寧、我魂魄に対する二元的の感情であつたかと思ふのである。
話が岐路に入つたが、立ち戻つて標山の事を言はう。標山系統のだし・だんじり又はだいがくの類には、必中央に経棒(タテボウ)があつて、其末梢には更に何か依代(ヨリシロ)を附けるのが本体かと思ふ。彼是記憶に遠い話よりは、自分に最因縁の深い今の大阪市南区木津(キヅ)、元の西成郡木津村で、今から十年前まで盛んであつただいがくに就て話して見よう。
故老の言ひ伝へには、京祇園山鉾(ヤマボコ)に似せて作つたと言ふが、此と同型の物の分布する地方は広く、五十年や百年以来の思ひつきとは認められぬ。まづ方一間高さ一間ばかりの木の※(ワク)を縦横に貫いて緯棒(ヌキボウ)を組み、経棒(タテボウ)は此|※(ワク)の真中に上下に開いた穴に貫いて建てる。


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