正宗 小説@pedia
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...外(はず)して来ての正宗(まさむね)にゃあ、さすがのおれも刳(えぐ)られたア。今ちょいと外面(おもて)へ汝(てめえ)が立って出て行った背影(うしろかげ)をふと見りゃあ、暴(あば)れた生活(くらし)をしているたア誰(た)が眼にも見えてた繻子(しゅす)の帯、燧寸(マッチ)の箱のようなこんな家に居るにゃあ似合わねえが過日(こねえだ)まで贅(ぜい)をやってた名残(なごり)を見せて、今の今まで締めてたのが無くなっている背(うしろ)つきの淋(さみ)しさが、厭(いや)あに眼に浸(し)みて、馬鹿馬鹿しいがホロリッとなったア。世帯(しょたい)もこれで幾度(いくたび)か持っては毀(こわ)し持っては毀し、女房(かか... 続きを読む
...にするばかりであり、正宗白鳥、佐藤春夫、芥川龍之介など、いづれも愛読といふよりは自ら絶望を深めるための読書であつた。当時隆盛な左翼文学に就ては、芸術的に極めて低俗なものであつたから全く魅力を覚えなかつた。もしあの当時左翼芸術に高度の芸術性があつたなら、私の今日もよほど違つたものになつてゐたと思ふ。志賀直哉、それから自然派の文学を私は当時から嫌つてゐた。
それで私はとても一流の才能なしと諦めて坊主にならうと考へたのであるが、それでも折にふれて小説を読み、それは大概語学の勉強のためであつたが、特にチェホフの短篇の英訳は耽読した。特に「退窟な話」の感動は劇しいもので、何度とりだして読み、溜息をも... 続きを読む
...の剣は人を切る邪剣で正宗の剣は身を守る正剣だ、などと言うことになると、両者の食い違うところが非常にハッキリしてくるのである。
剣術には「身を守る」という術や方法はないそうだ。敵の切りかかる剣を受止めて勝つという方法はないというのだ。大人と子供ぐらい腕が違えばとにかく、武芸者同志の立合いなら一寸でも先に余計切った方が勝つ。肉を切らして骨を切るというのが、正しく剣術の極意であって、敢て流派には限らぬ普遍的な真理だという話である。
いったい武士というものは常に腰に大小を差しており、寸毫の侮辱にも刀を抜いて争わねばならぬ。又、どういう偶然で人の恨みを買うかも知れず、何時、如何なるとき白刃の下を... 続きを読む
...に同化する由もない。正宗白鳥も懐古趣味の人ではあるが、より良きものを求むる心も失はず、より良きものゝ実在を信じてゐるから、彼は新しきものを軽蔑しても、古きに似ざる故に軽蔑するのではなく、その本当の価値をさぐり本質を見究めてのち軽蔑を明にするといふ文学者本来の思考法によつてをり、その見解の当不当はとにかくとして、態度において、文学自体のもつ新鮮さを失ふことがない。
荷風においては懐古趣味の態度自体が反文学的であり、彼には新しき真実などは問題ではなく、失はれたる過去をなつかしむといふだけの、そして新しきものが過去に似ないことによつて良くないといふだけの、最も通俗安直な懐古家にすぎないのである。... 続きを読む
...」といふおでん屋の菊正宗の盛名を聞いてゐたので出かけていつたが、これも東京の菊正ビルや岡田の菊正にくらべると一ケタ違ひだ。そのかはり値段は安い。いはゞ二流品なのであらう。思ふに灘は一等品を京大阪、東京の都会地へ出し、土地へは二等品で間に合すらしい。わざ/\のみにでかける人は馬鹿を見るが、商売としてはこの方がうまい。
尾崎士郎氏が月々の酒代に怖れをなして相談をもちかけてきたので義兄の紅村村山真雄氏が「越の露」の醸造元であり、かねて知人関係へは一斗十円でわけてくれる例があつたところから、紹介した。これが非常な好評で、尾崎方で一杯グッとひつかけた輩がわれもわれもと紹介状を書かせにくる。地酒宣伝の... 続きを読む
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